麻雀人類学  10.人生は麻雀である | 中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科

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院長のひとりごと

麻雀人類学  10.人生は麻雀である

「人生はマラソンである」とは、よく言われる言葉である。長い道のりを歯を食いしばって駆け続ける姿が、根性とか精神力の好きなこの国の人々にウケるのであろう。そんなまじめな人々を相手に「人生は麻雀である」などと言うと袋叩きにされそうだが、私はかなりまじめにそう思っている。

芥川龍之介は書物の中で人生を学んだそうだが、私は麻雀の中でそれを学んだ。考えてもみたまえ。受験勉強の中で必ず答えの出る問題しか解いて来なかった人間に、答えなんてどこにもない不可解な人生がわかるはずがないではないか。

かくして勤勉実直な元受験生は、それまでの生き方を清算するかのように、このわけのわからないゲームにのめり込んで行く。配牌(最初に手元に配られる13枚の牌)は、いわば誕生である。器量よしに生まれる者もあれば、不器量なやつもいる。いかにも金持ちになりそうな者がいるかと思うと、一生努力しても下積みで終わるしかないような不運な者もいる。文句を言っても始まらない。人はこれを背負って生きて行くしかないのである。

ゲームが始まると、一枚一枚牌をツモって来ることになる。これが人生において遭遇する様々な出来事に相当する。トントン拍子に事が運ぶときもあれば、いつまで経っても目が出ないこともある。配牌が抜群に良かったのに、その後のツモがいいかげんで、何もしないうちに流局になったなんてのは、さしずめ呉服問屋の放蕩息子といったところであろう。逆に配牌はひどかったのに、次から次へと良い牌が集まって来て、思いもかけない高い役になってしまったなんてのは、何となくシンデレラに似てますね。

ところで、何千回となくこうした手づくりを続けていると、ある一定のパターンが高い確率で繰り返されることに気づくようになる。このパターンは打ち手によって異なるのだが、それが不思議とその人の人生を象徴しているのである。ちなみに私は、悪い配牌を苦労しながらまとめ上げて、安くはないにしても、さして高くもない役をアガるというパターンが非常に多い。振り返ってみると、確かに私の人生はそういう具合に進んでいるようなのである。

何だか「麻雀占い」みたいになってしまったが、読者はこの占いには手を出さないほうがよろしい。よく当たることは保証するが、占うためには「人生は麻雀である」というより「麻雀が人生である」という自堕落な一時期を送らねばなりませんので。

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