木もれ日  4.貧乏物語 | 中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科

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院長のひとりごと

木もれ日  4.貧乏物語

京都帝国大学教授・河上肇博士の著作に表題と同じものがあるが、私の貧乏物語はそれほど格調高いものではない。学生時代に貧乏暮らしをしたというだけの話である。

ちなみに河上肇教授の墓は、私が文学部時代を送った京都の学生アパートのすぐ裏の法然院に建てられている。銀閣寺から数百メートル南に下ったあたりにある閑静な寺院である。ここはむしろ谷崎潤一郎の墓所として有名で、小ぶりな枝垂れ桜の下に「空」と「寂」と書かれた自然石がさり気なく置かれている。空が潤一郎で、寂が妻の墓石である。潤一郎の墓石の底面に女人の足形が刻印されているかどうかは、残念ながらまだ確認していない(?と思った人は「瘋癲老人日記」をお読み下さい)。

閑話休題。

詐欺師のような手口を使って医学部を卒業しなければならないくらいだから、私の学生生活は相当貧乏だったのだろうと思う。負け惜しみで言うわけではないが、今となっては懐かしい思い出である。

リヤカーで引っ越して来た私を見て、人の良い大家のおばあちゃんは、庭の片隅に放置されていた使い古しの自転車を供出し、「よかったら使ってちょうだい」と言ってくれた。バスで通学するゆとりのなかった私は、大喜びで錆だらけの自転車に油を差し、翌日からキコキコとペダルを踏んで学校に通った。

やぐら炬燵以外に何もなかった部屋に、初めて入った家具が本棚だった。文学部卒業生としての精一杯の見栄である。本当は食器棚が欲しかったのだが、これはひとまず見送らざるを得なかった。代わりに段ボール箱を二つ横向きに積み重ね、埃が入らないよう、新聞の折り込み広告をカーテンのように垂らして食器棚にした。電気製品が所狭しと並んでいる、おなじみのカラフルな広告である。遊びに来た友人が、「これは一体何だ?」と不思議そうな顔をしていたが、その中から私がコーヒー茶碗を取り出すのを見て、目を丸くしたのを覚えている。

今も昔も変わらないのは、これ以上切り詰められるものがあるとすれば、それは食費だということである。私は、当時親しくしていた(今は……幸か不幸か親しくしていない)女性に、お金のかからない簡単料理をいくつか教えてもらって、できる限り自炊に努めた。ナスを二つに割ってフライパンで炒めるとか、サヤエンドウに鰹節をまぶして醤油で炒めるなどというレパートリーは、子供の弁当づくりにずいぶん役立った。

ある時スパゲティをゆでて、ミートソースをかけて食べようとしたところ、あると思っていたミートソースが見当たらないことがあった。仕方がないので、たまたま見つけた「ヒガシマルうどんスープ」に入れて食べてみたのだが、これは驚くほどまずかった。捨てるのももったいないので、これも修行のうちと思って食べたが、うどんスープはやはりうどんのために使ったほうがいいのではないかと思う。

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