木もれ日  6.唐招提寺 | 中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科

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院長のひとりごと

木もれ日  6.唐招提寺

医学部の3年生というと、解剖実習が始まり、生理学や病理学などの講義もあって、多少医学部生らしくなってくる頃である。こうなると、いかにウソとハッタリが得意な私の試験対策も通用しなくなり、尋常に勉強せざるを得なくなった。アルバイトも3件、週5日を費やしていたから、結構忙しく、ストレスは溜まる一方である。

ラテン語とドイツ語に食傷していた私は、3年生の秋のある週末、突然奈良に行こうと思い立った。奨学金のおかげで些少の蓄えもあり、1泊2日の旅行に出かけるくらいのゆとりはあったのである。

近鉄奈良線「西の京」駅で降り、目前の薬師寺に参拝したのち、色づき始めた柿の実を左右に見ながら唐招提寺に向かう。

唐招提寺は今さら言うまでもなく、鑑真和上が建てた寺院である。井上靖の「天平の甍」によると、当時の日本にはまだ「戒」を授けることのできる僧がいなかったため、当時の先進国である唐から高僧を招く必要があった。鑑真はその招聘に応じ、度重なる遭難にも挫けず、文字通り艱難辛苦の末に日本の土を踏んだ。すでに盲目となっていた鑑真は、土を嘗めて味わい、寺院を建てる場所を選んだという。

山門を潜ると正面に金堂が見える。エンタシス形式と呼ばれる優雅な円い柱で支えられた建物で、中央に立位の千手観音像が据えられている。唐招提寺の千手観音は本当に千本の手を持っているというので、数えることの好きな私は懸命にその数を確認しようとしたが、途中で疲れ果ててやめてしまった。ちなみに京都の三十三間堂(蓮華王院)に鎮座している千手観音の手の数は42本である。

金堂の後ろに講堂、その右手に鐘楼があり、さらには東大寺の正倉院と同じ校倉造りの倉庫もある。その奥にある鑑真廟は、平成5年に米長邦雄永世棋聖が7度目の将棋名人挑戦を迎える際に訪れ、瞑想のうちに迦陵頻伽(かりょうびんが)の囀る声を聞いたという場所である(米長はこの年悲願の名人奪取を果たした)。

鑑真廟はふだんは立入禁止となっている。私は廟の前で右に折れ、蓮池を見ながら建物の横手に回った。手前に枯れかかった竹林や沼などがあって、ここまで足を運ぶ人は滅多にいない。私もここまで来たのは、このときが初めてである。

ふと見ると、築地塀の一部が嵐か何かで崩れて、その気になれば乗り越えられるほどの高さになっている。入ってくれと言わんばかりである(いや、確かに入ってくれと言っていた。……このへんの屁理屈は「罪と罰」のラスコーリニコフに近い)。私はあたりに人影がないのを幸い、その崩れを乗り越えて廟の内部に侵入した。

塵ひとつなく掃き清められた庭に乾いた秋の日が差して、鑑真和上が渡日した千余年の昔が昨日のことであるかのような静謐さがそこにあった。私はしばしその場にたたずみ、悠久の歴史が一点に凝縮されたかのような濃密な空気を胸一杯に吸い込んだ。

そのうち私はたとえようもない畏怖に襲われ、逃げるようにその場を立ち去った。鑑真廟は私のような不信心者が立ち入ってはいけない神聖な場所だったのである。

二十年以上前の家宅侵入罪はとっくに時効になっていることだろうが、「へへへ、得しちゃった」とほくそ笑む一方、今に鑑真和上の罰が当たるのではないかと戦々兢々としている今日この頃なのである。

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