夢のような夢のはなし  6.個人的無意識と集合的無意識 | 中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科

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夢のような夢のはなし

夢のような夢のはなし  6.個人的無意識と集合的無意識

夢は無意識の内容がイメージという形をとって意識の中に流れ込んでくるものである。「夢を見る」のは、夢が一般に視覚イメージで表現されやすいからで、これは五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)のうち人間では視覚が最も発達しているからであろう。ちなみに視覚障害者は聴覚イメージで夢を見るという(夢を聞くと言うべきか)。

ここで無意識について整理しておくと、無意識という概念はフロイトが提唱したもので、ダーウィンの進化論、マルクスの資本論と並んで世界を変えた三大学説と呼ばれている(そのいずれもが仮説にすぎないところがミソであるが)。フロイトはヒステリー患者の治療を続けているうちに、現実世界を律している意識に対して、現実にそぐわない心の領域が存在することを発見し、これを無意識と名づけた。いわばフロイトにとって無意識とは、意識の裏返しとしての対立概念だったわけである。

一方ユングは、フロイトの学説に傾倒しながらも、無意識はフロイトが想定している以上に広大深遠なものではないかと考えた。この考え方の相違が、のちに二人を訣別させる原因になるのだが、これはフロイトが主としてヒステリー患者を治療していたのに対して、ユングが主として統合失調症患者を治療していたことに起因する。どちらが正しくてどちらが間違っているという問題ではない。

ユングは無意識に二つのレベルがあることに気づいた。そしてより意識に近いレベルを個人的無意識、より遠いレベルを集合的無意識と名づけた。個人的無意識とはその人が体験していながら無意識のかなたへ忘却された内容を指し、集合的無意識とは個人を超えた人類共通の(場合によっては動物にも共通する)心的内容を指す。

ヒステリー患者の治療経験をもとにフロイトが提唱した無意識は、ユングから見ると個人的無意識に相当する。ヒステリー患者の精神病理は、その患者が過去に体験した内容から説明することができるからである。これに対して統合失調症患者の病的体験(幻覚、妄想など)は、患者が過去に体験した内容をはるかに超えている。その精神病理は集合的無意識という概念を導入しない限り説明できないものである。

夢に即していうと、多くの人が空を飛ぶ夢を見る。しかし生身の人間である以上、過去に空を飛んだ経験を持つ者はいないはずである。そんな夢がなぜ出て来るのか?

無意識がフロイトの仮定したように個人の体験を辿って行き着けるものならば、空を飛ぶ夢など見るはずがない。一方ユング派の観点からいうと、空を飛ぶ夢は個人的無意識ではなく集合的無意識に由来するから、何ら矛盾するところはない。

では集合的無意識において空を飛ぶとは、どういう意味を持つのか。

空は一般に高いところを意味する。高いところといえば山頂も高層ビルの屋上もあるが、空とどこが違うかというと、地面とのつながりがあるかどうかに関わっている。大地が現実を象徴することを思えば、山頂や高層ビルの屋上は間違いなく現実につながっている。これに対して空は現実との接点がない。つまり空を飛ぶ夢は現実から浮き上がっている状態、たとえば余りにもつらい現実から逃避しようとしているか、あるいは現実を無視して舞い上がっているような場合に見ることが多い。

高いところとは、心理学的には精神の高みを指すこともあれば、現実的な地位の高さを指すこともある。前者は形而上的価値、後者は形而下的価値を意味する。精神の高みを極めようとしている宗教家が現実を離れて浮き上がってしまうと似非教祖になり、総理大臣や社長を目指す者が現実を省みなくなると裸の王様になるわけである。空を飛ぶ夢を見た人は、自分が現実から逃避しようとしていないかどうか、地位や肩書を振り回して独断専行していないかどうかをよく考えてみたほうがよい。

一方、空から墜落する夢もよく出てくる。これは高いところに逃げていないで、現実世界に戻って来いという無意識のメッセージである。こういう夢を見る人は(すなわち無意識のメッセージを意識レベルで想起できる人は)、すでに現実世界に戻る心の準備が整っているわけで、墜落する夢は(怪我をしない限り)決して悪い夢ではない。

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