木もれ日  7.法隆寺 | 中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科

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院長のひとりごと

木もれ日  7.法隆寺

聖徳太子ゆかりの寺・法隆寺は、奈良の西南、斑鳩の地にある。経済学部生でありながら、万葉趣味が高じて、今は甲南女子大学国文科教授をしている友人に誘われ、私が初めて法隆寺を訪れたのは十九歳の時だった。

フランス文学かぶれだった当時の私は、「法隆寺がなんぼのもんじゃ」と思いつつ、とりあえず名所旧跡は訪ねておこうという俗物根性で出かけたわけだから、昨今の修学旅行生と何ら変わるところはない。

初めて訪れた時は、その閑静なたたずまいに心を洗われる思いがしたが、それ以上の感懐はなかったように思う。そのうち文学部の美学美術史で飛鳥・白鳳時代の寺院・仏像を学ぶに及んで、漸く私も法隆寺の至宝に開眼し、二回目は百済観音像と、止利仏師の作になる釈迦三尊像を観るために出かけた。以来、正倉院の御物の数には及ばないものの、訪れるたびに新しい発見があり、幾度となく足を運んだものである。

奇妙なことに、法隆寺の山門(寺院の入口)は柱の数が五本、つまり奇数である。柱の数は通常偶数であり、法隆寺のような例は他には見当たらない。

門柱が奇数ということは、中央に柱が来るわけで、いかにも人が入ることを拒んでいるかに見える。昔の人が法隆寺を聖域とみなしたのも、むべなるかなである。ところが、先日文化勲章を受けた梅原猛氏は、これは入ることを拒んでいるのではなく、聖徳太子の怨霊が出て来られないように封じ込めてあるのだと言う。山門を入口ではなく、出口と見た逆転の発想である。

聖徳太子の没後、その一族は蘇我氏の謀略によって皆殺しにされたが、その後天変地異が続いて、人々は太子の祟りではないかと恐れた。法隆寺はもともと聖徳太子の創建になる寺だが、そこへ太子の怨霊を封じ込めようとして、奇数の門柱を持つ山門が造られたというのが梅原説である。詳しくは「隠された十字架」を参照されたい。

そうした血生臭い話をよそに、法隆寺は端然と千二百年余の歳月を閲(けみ)してきた。他の寺院には見られない気品と風格がある。まだ訪れたことのない人には、是非一度参拝されるようお勧めしたい。

何だか抹香臭くなってきたので、次回はもう少しくだけたお話をしよう。

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