夢のような夢のはなし  14.ペルソナと影 | 中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科

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夢のような夢のはなし

夢のような夢のはなし  14.ペルソナと影

論語に「吾十有五ニシテ学ニ志ス」「三十ニシテ立ツ」という言葉がある。孔子は十五歳のとき学問で身を立てることを決意し、三十歳で一人前になったわけである。

十五歳といえば、江戸時代の武家なら元服をして、大人の仲間入りをする年代である。現代では義務教育を終える年齢で、もちろん働くこともできる。高度経済成長が始まった五十数年前は、中卒の労働力は「金の卵」と呼ばれ、東北地方から彼らを上野駅へ運んでくる集団就職列車というものがあった。井沢八郎の「ああ上野駅」という歌が流行ったのは、筆者が中学生になった頃である。

いまは中学を卒業して働く者は少なく、ほとんどが高校に進学する。もっとも、進学する際に自分の将来を見越して高校を選んだ者がどれだけいるだろう。なし崩し的に高校へ進学した者が多いのではないか。総じて人間は長命になるにつれて大人になるのが遅くなったように思われる。

それはともかく、心の発達という観点からすると、人は十五歳という思春期の真っ只中で自分の将来を選択し、その実現に向かって努力することになる。将来の自我像にふさわしいものを身につける一方、ふさわしくないものはどんどん切り捨てて行く。そうして三十歳になって、ようやく自分が意図した自我像をつくり上げることができる。誰が見ても「あの人はこういう人よね」と言われるような、いわゆる社会向けの顔ができ上がるわけで、これがペルソナと呼ばれるものである。

ところで、自分にふさわしいと思って身につけてきたものはともかく、ふさわしくないと思って切り捨ててきたものはどうなったか?

捨てたものなど残っているはずがないと思ったら大間違いで、実は無意識の片隅に全部放り込まれているのである。捨ててきたものである以上、たいていは価値がないか、社会的には悪と呼ばれるものがほとんどで、これがその人の影を形成する。ペルソナを表の顔とすると、影は裏の顔である。

一見すると影は邪魔者のようであるが、物に立体感を与えるのが影であるように、影のない人間には奥行きがない。ペルソナだけでは人間が平面的で薄っぺらくなってしまう。厄介なのは、影が無意識の中に抑圧されていることである。これが何かの折に抑圧をすり抜けて表に出てくることがある。

よく見られるのが、ようやく社会に通用する自分をつくり上げた途端、それまで切り捨てられてきた影が不平を鳴らすようになることである。あのとき、ああしていれば自分には全く違った人生が開けていたのではないか、こうしていればもっと実り多い結果になっていたのではないか、などという迷いが生じるようになる。つまり生きられなかったもう一人の自分が、お前の人生はこれでいいのかと問いかけてくるわけである。三十代の課題は、こうした影の声に耳を傾け、生きられなかったもう一人の自分と折り合いをつけていくところにある。 家を建てることになぞらえると、三十歳は外装が終わって、一応家らしく見えるようになる時期である。但し、外見はともかく、家の中はがらんどうで、まだ内装は始まっていない。それをいかに住み良い家にするかという、内装の仕事が四十歳までの課題となる。内装をうまく仕遂げると「四十ニシテ惑ハズ」という境地に達する。

影は夢の中で自分と同性、同年齢の見知らぬ人間として登場する。次号から、この厄介な影とどう折り合いをつけていくかという話をする。

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