夢のような夢のはなし  17.影(その3) | 中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科

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夢のような夢のはなし

夢のような夢のはなし  17.影(その3)

緑色に濁った水の中に住んでいる男(私の影)の夢を見た1ヶ月後に、私は日蝕の夢を見た。

「日蝕があるというので、私は空を見上げている。太陽の左上端に少しずつ黒い影が差してきて、いよいよ始まったなと思う。私はあたりが暗くなったかどうかを確かめるために目を地上に移すが、それ以上暗くなる気配がない。おかしいなと思って再び空を見上げると、一旦差しかけた影がまた元に戻りつつある。失敗したなと私は思う。すると今度は太陽の下のほうから、昼の空にかかった月のように淡い色をした月が昇ってくる。太陽よりひと回り大きく、太陽の右端をほんの少し残しただけで、ほとんどすっぽりと覆ってしまう」

太陽は意識を象徴するから、日蝕は意識の光が遮られた状態、すなわち無意識の世界が出現したことを表している。皆既日蝕でなく太陽の右端がほんの少し残っているのは、世界が完全な闇に包まれたわけではないことを指している。つまりこの夢を見たとき、私はわずかな意識の光を頼りに、無意識という広大な闇の世界へ踏み込んでいたのである。

一方、太陽と月とを比較すると、月は闇を照らす光、すなわち無意識を意識化する働きを表す。月が太陽をほとんどすっぽりと覆ってしまったことは、私の中で太陽の代わりに月が主役になったこと、つまり無意識の闇に隠れていたものを暴き出す作業が始まったことを表している。そして最初に暴き出されたのが、闇の中で跳梁していた私の影だった。

日蝕の夢を待つまでもなく、私は水の中に住んでいる男の夢を見たすぐあとから、できることなら忘れてしまいたい過去の古傷を思い出させるような夢をたて続けに見る羽目になった。いずれもみっともない夢ばかりで、とてもここに書く気になれない。当時私は35歳だったから、おおむね20代の頃の、若気の至りのような出来事と思っていただければよい。論語に「七十ニシテ心ノ欲スル処ニ従ツテ矩(のり)ヲ踰(こ)ヘズ」という言葉があるが、私もあと10年経ったら、そのとき見た夢をこだわりなく話すことができるようになるのかもしれない。

日蝕の夢を見た半月後に、今度は恐竜の夢を見た。

「子供の背丈くらいの恐竜がいる。獰猛な肉食竜だが、全身が緑色で、どうやら動物ではなく植物らしい。しかも私の子供だというので、じょうろに入れたミルクを恐竜の足元にかけて育てることになる」

目が覚めて、あまりに奇妙な夢なので笑ってしまったが、そのうち顔色が変わった。私の心の中で何か凶暴なものが育ちつつある。しかもそれは私個人の経験を超えたもの、いってみれば人類の歴史の中でDNAに組み込まれ、文明の発達とともに抑圧されてきた破壊的な力のようなものらしい。今は植物だからいいが、これが動き始めたらどうなるのだろうと青ざめる思いだった。

案の定、恐竜の子どもはつつがなく(?)育ち、私の中で凶暴な力をふるい始めた。私は悪夢に魘される日が続いた。

夢の厄介なところは、申し開きができないことである。自分が見た夢は自分の無意識が創り出したもので、他人のせいにすることができない。どんなにおぞましい夢であっても、その素材はすべて自分の心の中から出てきたものである。

私は夢の中で暴行はおろか、強姦から殺人までくり返し犯すことになった。自分の中に潜んでいる狂気をまざまざと見せつけられ、私は夢を見るだけでへとへとになってしまった。週1回の分析がこのときほどつらかったことはない。当初から覚悟していたことではあったが、私はとうとうノイローゼになった。

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