夢のような夢のはなし  20.男性性と女性性(その1) | 中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科

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夢のような夢のはなし

夢のような夢のはなし  20.男性性と女性性(その1)

男性性とは男らしさ、女性性とは女らしさを指すが、男らしくない男もいれば、女らしくない女もいる。昨今のように草食系男子、肉食系女子などという言葉が市民権を得るに至っては、男らしさとか女らしさとは一体何なのかと考え込んでしまう。

身体機能でいえば男は強く女は弱い。実際、スポーツ界では男と女が同じ種目で争うことはない。男と女が同じ土俵で戦っているのは囲碁界くらいではないだろうか? 囲碁では女性も男性と同じ条件で棋士になった人が数多くいる。一方、将棋界ではまだ女性棋士はひとりも誕生していない。女流棋士という名称はあっても、それは女性だけの将棋界で棋士になったというだけのことで、奨励会の三段リーグを勝ち抜いて正真正銘の「棋士」になった女性はいないのである。

男らしさと女らしさについて厳密に解説するとなると、とても私の力の及ぶところではない。そこで乱暴を承知で極論するなら、男性性とはロゴスを表し、女性性とはエロスを表すのではないかと私は思っている。ロゴスは論理およびそれによって導かれる観念、理念、イデオロギーなど、抽象的な概念を指すのに対し、エロスは生きるために必要な現実的能力を指す。男性性は空を目指してふわふわと浮き上がって行く傾向があり、逆に女性性は大地にしっかりと根を下ろして、埒もない妄念に取り憑かれることなく、現実に生きて行くための知恵を有している。

太平洋戦争(もはや旧人類に属する私としては大東亜戦争)が終焉を迎え、ポツダム宣言を受諾する玉音放送を聞いて日本中の男たちが呆然としていたとき、女たちは今日の晩ご飯は何にしようかと考えていたのである。大東亜共栄圏を構築するという「八紘一宇」のスローガンに当時の男は夢中になったが、女はそういう幻影に惑わされることはなかった。戦後の日本の復興には目覚ましいものがあったが、それを根底から支えたのは女である。

教育分析の師から「君は男性的だね」と言われたとき、私は何かの間違いではないかと思った。高校時代の3年間、冬場の体育はいつもラグビーで、私はとてもフォワードをやれる体型ではなく、バックスにいてボールを受け取り、走り回るだけの役割だった。敵方のフォワードにはじき飛ばされ、グラウンドに張っていた氷で手を切って血まみれになったこともある。私は自分がおよそ男らしくないことに劣等感を懐いていた。

しかし、男性性がロゴスに根ざしていると聞いて、私は目が覚める思いがした。確かに当時の私は論理、すなわち言葉で世界を構築していた。世界は言葉で表現し得るもので成り立っており、それ以外の構成要素があるなどとは思ってもみなかった。

前回、私は影の組織から命を狙われ、ピストルで撃たれる夢を見たと書いた。ピストルは遠くにいながら相手を倒すことができる道具、すなわち言葉を指している。私は至近距離から撃たれた弾丸も、遠くから撃たれた弾丸も、多少痛い思いはしたが、左右の手でしっかりつかみ取っている。この夢は、私がいかなる言葉の攻撃にも瞬時に対応できるだけの論理性を獲得していたことを表している。そういう意味で、私は尋常ならざる男性性を有していたといえるであろう。

言葉は意識の世界に属している。確かに私は意識においてはそれなりの発達を遂げていたようだが、心は意識だけで成り立っているものではない。無意識の世界においては、逆に私は未熟者だった。つまり私の中では女性性が全く育っていなかったのである。

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