木もれ日  12.35年ぶりの追試 | 中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科

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院長のひとりごと

木もれ日  12.35年ぶりの追試

平成24年は徳川家康が囲碁と将棋を保護するために囲碁所、将棋所を設けてからちょうど400年目に当たり、それを記念して第1回日本将棋文化検定が行われた。当時の日本将棋連盟会長・米長邦雄永世棋聖(平成24年12月18日逝去)の発案によるものである。

米長邦雄さんといえば、中野区若宮在住という縁で平成14年度の中野区医師会雑誌「新生」座談会にお招きし、「私の修業時代」というテーマでお話を伺ったことがある。中野区白鷺に住んでおられた故升田幸三さんとともに、私が最も敬愛する棋士である。

その米長さんの弟弟子にあたる田丸昇九段が、このたびの将棋文化検定の実行委員で、問題作成に携わるという。田丸九段とは少なからぬ縁があって、講談社の将棋漫画を編集している私の飲み仲間を介して、行きつけのバーで紹介されたのが最初だった。私は平成22年2月から月1回「鷺宮将棋サロン」を主宰しており、田丸九段がバーに現れると早速サロンのメンバーに招集をかけるという具合で、そのうち田丸九段の将棋懇親会に呼んでいただけるようになった。ちなみにこの懇親会の発起人はお天気キャスターの森田正光さんで、俳優の森本レオさんや綿引勝彦さんもメンバーに入っている。

田丸九段から「第1回日本将棋文化検定を行いますから、ぜひ受検して下さい」と声をかけられ、鷺宮将棋サロンの会員のうち8名が腕試しをすることになった。受検コースは2級、4級、6級、9級の四つで、私はサロンの会長という見栄もあって2級を受けることにした。他のメンバーは4級1名、6級と9級が各3名である。

平成24年10月21日、私たちは東京会場の明治大学附属高等学校に集合した。受検番号を確認して教室に入ると、森内俊之名人をはじめとするプロ棋士数名と同じ部屋だった。プロ棋士だからてっきり2級を受けるものと思っていたら、森内名人は4級を受検するのだという。サロンの会長というだけでアマの私が2級に挑戦しているのに、名人が4級ではプロの名が泣くのではないかと思ったが、勝負に勝つことを優先するプロとしては、勝ち目のない勝負はしないのであろうと好意的に解釈することにした。

問題は全部で50問、制限時間は60分。4級から9級まではすべて三択問題であるが、2級は40問が三択で、残り10問が記述問題である。森内名人が受検するというので囲碁将棋チャンネルのテレビクルーが入ったり、週刊将棋のカメラマンが入ったりして、私のいる教室はほどよい緊張感に包まれていた。

試験開始の合図とともに問題集を開いた私は、一瞬目が点になってしまった。三択問題だから何とかなるだろうと思っていたのに、最初の10問がほとんど解けないのである。それを放置して次に進むと、ようやく私の知っている内容が出て来るようになった。30分が経過すると、解答用紙を置いて退出する者がちらほら出始めたが、私の解答用紙はまだ空白だらけである。記述問題では手も足も出ない設問があり、制限時間まで教室に居残っていたのは私を含めて数名しかいなかった。私は悄然として会場を後にした。

1カ月後に結果が届いたが、2級の合格ライン75点に対して私の得点は71点。2級受検者200名のうち、合格者は49名だったそうである。一方、サロンの他のメンバーは全員が合格していた。おかげで9級合格者から「オレは9級、曽根会長は無級」と1年間いじめを受ける羽目になってしまった。試験に落ちるなんて、医学部の6年間で唯一追試を受けた神経解剖実習の口頭試問以来のことである。

臥薪嘗胆……、私は1年間耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで第2回日本将棋文化検定を迎えた。今回は昨年と違ってABCDの4コースで、Aは1,2級、Bは3,4級、Cは5,6級、Dは7,8,9級になっており、Aコースに合格すれば2級、特に成績の良い者が1級に認定される仕組みになっている。リベンジに燃えている私は当然Aコースである。

この日に備えて私は自分が所蔵している将棋関係の書籍をすべて取り出し、出題されそうな内容を逐一チェックしてアンチョコを作成した。たとえば江戸時代には10人の将棋名人がいるが、第一世名人大橋宗桂から第十世名人伊藤宗看まではすべて覚えた。明治に入って第十一世名人が伊藤宗印、その弟子が第十三世名人関根金次郎、間に傍流の第十二世名人小野五平が入ったのは福沢諭吉や森有礼が後押しをしたからであるなどというのは常識で、小野五平は徳島県脇町の出身だとか、駒台のモデルは雛祭りの雛台で、それを現在の駒台として作成したのが飯塚力造八段であるなどというマニアックな内容まで、とことん調べ上げたのである。

平成25年10月13日、私は意気揚々として第2回日本将棋文化検定に臨んだ。

ところが敵もさるもの、昨年よりも出題内容がはるかに難しくなっていて、私が作ったアンチョコの大半は反古となってしまった。今回は問題数が60問で、Aコースは47問までが三択、48問から50問までが四択、51問から60問までが記述問題だった。

60問中、自信を持って答えられたのが31問。これでは到底合格点に達しない。あとは運を天に任せるだけである。試験終了後、私はがっくりと気落ちして、その後の指導対局やトークショーなどのイベントに参加する気力もなく、早々に退散したのであった。

ところが届いた結果を見ると、なんと私は1級に合格していたのである。Aコース受検者が139名で1級合格者は9名。田丸九段から聞いた話によると、1級合格者のほとんどが業界人、つまりプロ棋士や将棋ライターだったそうである。

こうして私は無級の汚名返上を果たした。35年ぶりの追試に何とか合格した次第である。

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