木もれ日 14.ノイローゼ志願 (1)きっかけ
その頃私はスランプに陥っていた。医学部を卒業して4年、精神科医として多少経験も積んできたつもりだったが、私が期待するほどには患者が良くなってくれないのである。私は自分が何かとんでもない思い違いをしているのではないかと心配になって、藁にもすがる思いで様々な書物を読み漁った。
その中に、私が学生時代に買ったきり、まだ目を通していない本があった。カール・グスタフ・ユング著「心理学と錬金術」である。この本は、私が20歳の頃に読んだアルベール・カミュの「異邦人」以来、実に15年ぶりに出会った衝撃的な本だった。
前述の夢はこの本を読んだ後で見たものである。私は天の啓示を受けたような気持ちになり、わけがわからないままに、とにかく教育分析を受けてみようと思い立った。一人前の精神科医になるためには、まず自分自身が精神分析を受けるべきだと考えたのである。
昭和62年の春、知人を介してユング派の事情に詳しい精神科医を紹介してもらい、話を伺った。それによると、河合隼雄先生はご多忙でとても教育分析を引き受ける暇はないが、最近チューリッヒのユング研究所から国際分析家資格を取得して帰国したばかりの先生がおられるということだったので、早速面会を申し入れた。
安溪真一先生は河合隼雄先生と同時期にユング研究所に通っておられた同志社大学神学部教授・樋口和彦先生の愛弟子で、京都の烏丸御池に「分析心理クリニック」を開業されたばかりであった。安溪先生は冒頭に示した私の夢について、次のような解釈をされた。
稲妻によってできた黄金の塔は世界軸、すなわち世界の中心を表している。世界軸がなければ方位を定めることができず、したがって世界における自分の位置を認識することもできない。それまでの私は世界軸を持たないままやみくもに治療を行っていたのだが、ユングの「心理学と錬金術」に出会うことによって、漸くその世界軸が出現したのであると。
安溪先生が教育分析を引き受けて下さったので、当時岐阜大学医学部助手だった私は教授の了解のもとに土曜日の仕事を早めに切り上げ、毎週京都まで通うことになった。助手は薄給で新幹線で通うだけの経済的余裕はなかったから、片道1,300円の回数券(13,000円で11枚分)を買い、各駅停車で往復5時間の道のりであった。