木もれ日  14.ノイローゼ志願 (3)快復 | 中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科

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院長のひとりごと

木もれ日  14.ノイローゼ志願 (3)快復

子供をベランダから投げ捨てたくなる衝動は1ヶ月ほどでおさまった。それは私が「自分もまた狂った部分を持っているのだ」と開き直った時期に相当する。狂っているのは患者で自分は正常だと思っているうちは、まともな精神科医になれないと悟ったのである。

子供を抱いて平気でベランダに出られるようになった時、私は往時を振り返って、あれは一体何だったのだろうと考えてみた。

赤ん坊はこれから成長して行くもの、つまり可能性の象徴である。そこには私が一人前の精神科医に成長できるかどうかという可能性が投影されている。ところが、教育分析があまりにも辛い試練なので、こんなに苦しむくらいならいっそ可能性なんか放棄してしまえ……という無意識の衝動が、子供をベランダから投げ捨てるという強迫観念に結びついていたのではないか? これが私の解釈である。

昭和63年4月、私は東京へ転勤することになった。毎週京都まで通うのが難しくなったため、安溪先生の紹介で当時放送大学助教授だった織田尚雄先生に教育分析を引き継いでいただくことになった。ちなみに安溪先生と織田先生は、ユング研究所でともに机を並べて勉強された間柄である。

織田先生は河合隼雄先生の直弟子で、樋口和彦先生の弟子である安溪先生とは全く肌合いの異なる分析家だった。一口で言えば安溪先生の分析は男性的(解析的)であるのに対し、織田先生のそれは女性的(統合的)であったと思う。同じユング派の国際分析家でありながら、その手法があまりにも違うことに最初はずいぶん戸惑ったが、私が再びノイローゼに陥ることはなかった。

織田先生に4年、安溪先生から数えると5年間にわたって私は教育分析を受けたことになる。ずいぶん辛い思いもしたが、その辛さに耐え得たことが今となっては私の貴重な財産となっている。当時赤ん坊だった次男も今は成人し、危うく親父に殺されかけたことがあるなどとは、それこそ夢にも思ったことがないであろう。

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