木もれ日  16.悲願の全国優勝 | 中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科

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院長のひとりごと

木もれ日  16.悲願の全国優勝

飲み仲間にコロリと負かされ、一念発起して鷺宮将棋サロンを立ち上げたのは平成22年のことだった。以来8年間、毎月欠かさず例会を開き、先日第100回例会を開催したばかりである。飲み屋の延長みたいな将棋の会が、まさかこんなに長続きするとは思いもしなかった。

私は三十代の頃、曲がりなりにもプロ棋士に指導を受け、角落ちまで進んだ棋歴を持っている。当時私は厚生省の技官だったが、将棋仲間が経営している会社の社員に化けて毎年全国大会に出場し、他流試合の中で腕を磨いたものだった。

そういうわけで鷺宮将棋サロンでは発足以来数年間、ずっと私がダントツのトップだったのである。

しかし、かの羽生善治竜王ですら四十半ばを過ぎたあたりから常勝伝説に影が差しはじめたように、年齢とともに棋力は低下する。私が六十を過ぎた頃にとてつもなく強い若者が鷺宮将棋サロンに入ってきた。聞くとプロ棋士の養成機関である奨励会に入ろうと思った時期もあったそうで、私を含めてサロンの誰も歯が立たない。

すると、それをきっかけに次々と強い人が入ってくるようになり、気がついたら私はナンバーファイブまで落ちていた。

将棋の全国大会にはアマチュア名人戦をはじめ様々なものがあるが、団体戦で最も歴史があるのが「職域団体対抗将棋大会」(通称職団戦)で、これは1チーム5人で参加する。ナンバーファイブに落ちた私は、自分より強い者とチームが組めることで気を取り直し、残り4人を急遽臨時雇いの職員にして「曽根クリニック」で職団戦に参加することにした。

職団戦はプロはだしのS級を筆頭にA~F級に分かれており、最初はF級に編入される。好成績を収めるとFからE、EからDへと順次階級が上がっていくシステムである。

三十代で参加していた頃は勝率6~7割だったが、久しぶりに参加した職団戦では勝ったり負けたりで、チームはなかなか上位に入賞できなかった。我々は臥薪嘗胆、切磋琢磨して腕を磨き、運命の第110回大会を迎えた。

職団戦は5人で戦うので、通常は一番強い者が大将、二番目が副将というふうに並ぶのだが、曽根クリニックでは一番弱い私が副将になり、先鋒と三将、大将に強い者を置いた。つまり次鋒と副将は負けてもともと、勝てばもうけものという気楽な立場である。

ところがこの日の私はいつになく冴えていて、1回戦、2回戦、3回戦まで負け知らずだった。仲間から「今日はまだ負けませんね」と失礼なことを言われたが、それは私の本音でもあった。

4回戦になるとさすがに相手も強豪ぞろいで、私のように還暦を過ぎた選手は一人もいなかったが、私はチームの中で真っ先に勝利を挙げ、4連勝になった。すると他のメンバーも次々と勝ち名乗りを挙げ、なんと4回戦が終わった時点で曽根クリニックは誰ひとり負けなしの20勝無敗で決勝戦に進んだのである。

私は闘志満々だったが、表彰式まで時間がないということで突如対局時計が持ち込まれ、初手から一手30秒の秒読み対局となった。秒読みとなると若いほうが圧倒的に有利になる。年を取ると短時間に読める手の数と集中力が低下するからである。

私は入玉を目指し、泥仕合に持ち込もうとしたが、「この筋は要注意」とわかっていたはずの場所へ時間に追われて玉を置いてしまい、王手飛車を喰らって負けた。しかし当初の予定通り先鋒と三将、大将が勝利を挙げ、ついに悲願の全国優勝を成し遂げたのである。

最後に勝てなかったのは残念だが、チームを代表して表彰式で賞状を受け取ったときは長年の夢が叶って感無量だった。翌朝、私は鷺ノ宮駅まで朝日新聞を買いに走り、「F級優勝 曽根クリニック(中野区)」の記事を確認してひとりほくそ笑んだのだった。

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