1.予兆? | 中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科

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精神科医のがん闘病記

1.予兆?

ことの始まりは腕時計だった。

平成29年4月、私は妻と二人で海外旅行へ出かけた。以前から行きたいと思っていながら、なかなか決心がつかなかったポーランドのオシフィエンツィム、ドイツ名でアウシュビッツを訪ねる旅である。私は腕時計のバンドを新しいものに取り替え、準備万端調えて成田空港を飛び立った……はずだった。

ところがアムステルダムでクラクフ行きに乗り継ぐ際に腕時計を見たところ、針が動いていないのである。

「バンドは取り替えたのに、電池は取り替えなかったの?」と憐れむように妻に言われ、私はがっくりと肩を落とした。

帰国して1カ月ほど経った頃、食べたものがのどにつかえるようになった。喉頭癌で亡くなった父と同じ症状だったので、私はすぐに近所のO先生を受診し、喉頭鏡検査を受けた。結果は異常なしだった。

この頃クリニックの処置室の蛍光灯が点滅し始めたので取り替えた。すると今度は洗面台の蛍光灯が点滅し始め、これも取り替えることになった。

喉頭鏡検査で異常がなかったので気のせいかと思っていたが、やはりのどにつかえる感覚はなくならない。喉頭に異常がないなら、その下部の食道ではないかと疑い、消研の重鎮H先生に相談したところ、I先生を紹介された。季節は夏になっていた。

よりによってこの暑い時期に自宅のエアコンが壊れた。それも2台続けてである。出入りの業者に相談しているうちに、今度は洗濯機が壊れた。いずれも10年近く使ってきたので寿命だったのであろう。修理するより買ったほうが安いと言われ、思わぬ出費を強いられることになった。

8月2日、I先生のクリニックを受診。内視鏡検査で食道上部、ほぼ喉頭の裏あたりに腫瘤が見つかり、組織検査に回された。もう少し下部にできていたら、毎年受けている胃のバリウム検査で発見されていたことだろう。運が悪いとしか言いようがない。

8月7日、組織検査の結果をI先生から聞く。扁平上皮癌だった。

「へえ……」というのが最初の感想だった。驚きもなければ悲しいという感情もない。まるで他人事のようである。

これはおかしい、と私は思った。自分は見栄を張っているのではないか、精神科医が動揺してはみっともないというので、真の感情を抑圧しているのではないか……?

自分の心の中を何度も覗き込んでみたが、別に平静を装っているわけでもないし、こんなことなら禁煙しておくのだったという後悔もない。ただ、この結果を知らせたときに妻が驚き悲しむであろう姿を見ることだけがつらかった。

I先生がその場でがん研有明病院に電話して消化器外科W先生の外来予約を取って下さった。8月9日、なんと2日後である。癌と分かれば、治療は早いほうがいい。私はI先生の迅速な対応に心から感謝した。

こうして私は癌患者になった。

しかしこの疎外感、――当事者の私をさしおいて癌という事実だけが着々と構築されて行く空虚感は一体どこから来るのだろう?

やがて私は自分が形而上学的癌患者にすぎないからだと気づいた。内視鏡の画像と組織検査結果から、私の食道に癌があることは間違いない。しかしまるで実感がない。癌はまだ私の頭の中にしか存在しないからである。

始まりは腕時計、次に蛍光灯が2本、エアコンが2台、洗濯機が1台と来て、最後に壊れたのが私だった……、と冗談を言って笑っていられたのは最初のうちだけで、このあと私は厳しい現実に直面することになる。

(闘病中ですが、診療は平常通り行っています)

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