医師紹介
院長経歴
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曽根クリニックにて日々診療を行う私、曽根維石(ソネイセキ)のことを少しでもご理解いただくために、自己紹介文を書いてみました。すこし気恥ずかしいですが、私と当院について少しでも患者様のご理解が深まれば幸いです。
「維石(イセキ)」という名前は実は先祖と同じ名前です。私は徳島県出身、実家は代々阿波藩の儒者の家系。そんな家庭の4人兄弟の3男として生まれました。小さい頃は勉強はせずに走り回っている元気な子供でした。得意科目は体育と図工のみ。とにかく身体を動かすのが好きでした。あまり勉強はした記憶がありませんが、要領はよかったのか徳島県内の城南高校という進学校に入学することが出来たのです。高校生時代は読書に没頭。フランス文学から現代小説まで、年に100冊以上は読んでいたかもしれません。
一年浪人して京大文学部、フランス文学科に入学。当時は学生運動の真っ只中で授業もテストも、学生のストライキで中止されるのが当たり前でした。実は4年間でテストがあったのは1回。その1回もレポートだけでしたので、実はいわゆるテストというものを大学時代は経験したことがないのです。そうした4年間もあっという間に過ぎ去り、私も就職活動の時期。ですが当時は第1時オイルショックの影響で就職活動は厳しいものでした。その中でも私がいた文学部には就職案内がぜんぜん回ってこない。かたや法学部、経済学部には就職案内がたくさん。「文学では食っていけないか・・・。」真剣にそう思った私は卒業してから1年間理系の勉強をして岐阜大学の医学部に入学したのでした。
医学部入学当時、私の父親はとっくに定年退職しており、2つも大学に通わせる余裕は我が家にはありません。当然兄からは猛反対。売り言葉に買い言葉で「学費の補助はいらない!」といったのが運のツキ・・・。私の医学部生活は文学部時代とは正反対の勉強とアルバイト一色となるのでした。一週間のうち5日は家庭教師のアルバイト、隙間の時間を見つけて勉強に励む毎日。
大学卒業後は研究職として大学院へ。生理学(基礎医学)を研究しました。ですが教授の他の学生に対しての態度が気に食わず、教授に追い出されてしまいました。その後は厚生労働省の国立公衆衛生院(現国立保健医療科学院)の機関で医師や保健師に対しての授業を行う先生のような仕事ををするために東京へ。しかし東京に行って1ヵ月後所属する公衆衛生の機関がなくなることに・・・。そこで儒者である家系を活かし、易を立てました(ごく分かりやすく言うと自分自身の将来を占ったのです。)
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院長 曽根 維石 (そね いせき)
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【略歴 】 1952年 徳島県生まれ。 1988年 国立国際医療センター精神科非常勤職員(~1995年) 1987年5月から1989年3月までユング派国際分析家・安渓真一氏に、1988年4月から1992年3月まで同・織田尚生氏に教育分析を受ける。 1982年 医師免許証取得
【趣味】 囲碁(四段)、将棋(五段)、麻雀、ビリヤード、社交ダンス
【2010年3月現在の主な役職】 国立保健医療科学院メンタルヘルス相談医 都立中野特別支援学校精神科学校医 東京都医師会学校精神保健検討委員会委員長 中野区立中学校精神科学校医 中野区教育委員会特別支援教育巡回相談員 中野区児童扶養・育成手当判定医 中野区介護認定審査会委員 中野区中野福祉作業所嘱託医 中野区しらさぎホーム嘱託医 中野区医師会精神科分科部会代表 中野区医師会新聞編集委員会委員長 中野区医師会学術委員会委員 中野区医師会認知症アドバイザー医制度運営委員会委員 帝京大学客員准教授
「公衆衛生学」 南江堂、1991年(初版)、1996年(改訂第2版) 「コミュニティメンタルヘルス」 中央法規出版、1992年
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