西武新宿線 鷺ノ宮駅徒歩4分 曽根クリニック中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科、曽根クリニックのブログ

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2.ダメ押し

鷺ノ宮駅前からバスで阿佐ヶ谷駅に出て、中央線快速で新宿へ。りんかい線に乗り換えて国際展示場で降りれば、がん研有明病院はすぐ左手にある。連絡が良ければ片道1時間15分、乗り換えに手間取ると1時間半の道のりである。

平成29年8月9日、私はこれから何度も通うことになるであろう(ひょっとすると臨終の場になるかもしれない?)病院へ足を踏み入れた。「私もついて行ったほうがいいかしら?」と妻に訊かれたが、癌であることはわかっているのだし、今日はより精密な検査の打ち合わせが主題だろうから、私ひとりで行くと言って断った。

これまで病気らしい病気をしたことがない私はこういう大病院は初めてで、受診から支払いまでベルトコンベアに載せられているかのように無駄なく運ばれていくシステムに感心した。初診の窓口に呼ばれたあとは、サイズと糖度によって自動的に選り分けられる果物のように、気づいたときは呼び出し受信機を持って消化器外科前の廊下に立っていた。

がん研というからには患者はみな癌か、癌の疑いがある人たちだろう。付き添いが多少交じっているにしても、私は廊下の両側に置かれたベンチをぎっしりと埋め尽くしている人の多さに茫然とした。

この病院のこの一角だけでも、これだけ多くの人が癌患者として、あるいは患者を支える家族として各々の人生を生きている。私はここにいる人の数だけドラマが、それもどこかに死の影を背負った濃密なドラマがあるのだと思い、癌の専門病院とはなんと残酷な、と同時になんと人間的な舞台なのだろうと思った。

W先生はベテランの消化器外科医で、人当たりは柔らかいがおそろしく頭の回転が速く、てきぱきとものごとを運んで行く。私が医師ということもあって余計な気づかいをする必要がなかったせいもあろう。ちょうど夏季休暇に入ったばかりの私に合わせて内視鏡からMRI、さらにPET検査までまたたく間に予定を組んで下さった。

すべての検査を終えたあと、今度こそ妻と一緒に結果を聞きに行った。食道上部にできた扁平上皮癌という診断は動かしようがなく、長径5センチで両端が隆起し中央は潰瘍化していて、かなり古い病巣であることがわかった。PET検査では案の定リンパ節転移があり、早期から転移しやすい食道癌の分類ではステージⅢということだった。5年生存率は30~40%である。

「進行癌ということでしょうか?」と妻がW先生に訊く。

当たり前じゃないか、と言おうとして私は口をつぐんだ。医師としては当たり前かもしれないが、妻は素人である。私は自分がわかっているのをいいことに、妻にはほとんど何も説明して来なかったことに今さらながら気づいた。私は自分の癌について事実を客観的に伝えることが、助かる見込みは薄いから無駄な希望を懐かないようにと、妻に引導を渡すことになるような気がして言えなかったのである。

妻に余計な心配をかけたくないというのが私の気持ちだったが、それは言い訳にすぎない。私は自分の癌が頭の中にしかないことで形而上学的癌という言い回しを使ったが、詳しいことを全く聞かされていない妻こそ、私の癌を頭の中ですら想像させてもらえず、むやみに不安を増大させていた被害者だったのである。

この日を境に私はできるだけ客観的に自分の病状を妻に伝えることにした。

癌に対して素人は一般に楽観主義者である。妻は私の話から希望を見出そうとし、私はその希望の芽を摘み取るというイタチごっこが始まった。

(闘病中ですが、診療は平常通り行っています)
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