西武新宿線 鷺ノ宮駅徒歩4分 曽根クリニック中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科、曽根クリニックのブログ

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5.死ぬということ

術前治療4週間のうち最初と最後の1週間は1日中、それこそ寝ている間も抗癌剤の点滴が続く。同時に放射線治療が始まり、毎日キャリーのついた点滴スタンドをゴロゴロ押して地下1階の照射室へ通うことになった。

最初のうちこそ身体がナマってしまわないようにと、用もないのに廊下を何度も往復したり、ホールまで足を運んで新聞を読んだりしていたが、だんだん億劫になって、ベッドで寝転んでいる時間が長くなった。

1週間ものあいだ何もしないで臥床しているというのは初めての経験で、根が貧乏性なのか、時間がもったいなくて仕方がない。そこで昔答えを出したきり放置してあった命題を記憶の底から引っ張り出し、考え直してみることにした。

癌を宣告されたとき、「へえ」と思っただけで何の感情も湧いて来なかったのは、死について私はすでに自分なりの結論を出していたからである。

私が初めて人の死に接したのは小学生のときで、父方の祖父だった。通夜から火葬場の情景まで覚えているが、死については別に何も感じなかった。10歳の頃、仕事に出かける父の後ろ姿を見て、ふと父も死ぬときが来るのだと思い、寂しい気持ちになったことがあって、それがおそらく死を身近に感じた最初ではないかと思う。

死について真剣に考え始めたのは大学に入ってからのことである。高校時代の友人が万葉集に凝って、休日に奈良の古跡を巡り歩いていた。当時私はフランス文学科の学生だったが、彼に誘われて唐招提寺と法隆寺を訪れたのがきっかけで仏教にはまり、毎日般若心経を唱えるようになった。ヘンな仏文科生だが、同じ「仏」つながりということで許してもらおう。

一方、本業ではカミュの不条理の哲学とサルトルの実存主義哲学に関する書物を渉猟し、カミュからは生きることの不条理とそこから脱却するための反抗を、サルトルからは存在に由来する絶望と生きるための意味の獲得を学んだ。

当時は学生運動の残り火がくすぶっていた時代で、麻雀ばかり打っていたノンポリ学生の私も、ノンポリであることのレゾンデートル(存在理由)と、それを正当化するための理論武装を必要としていたのである。

私は般若心経によって変転極まりない世界の本質を認識し、カミュとサルトルによって世界には本来意味がないことを知った。意味を獲得できるのは唯一人間だけだが、その人間もなぜ自分が「今ここに」存在するのかは説明できない。生まれてくる前も死んだあとも、気の遠くなるような闇の時間が広がっているばかりである。

死によって私という存在は消滅するが、同時にそれはあらゆる可能性が出現することを意味する。色即是空、空即是色である。解脱しない限り、この輪廻転生の循環から抜け出す術はない。死ぬということは、畢竟、生まれる前の世界に回帰することである。

ピンと来ない人のために死をイメージする方法がある。自分の記憶をとことん遡ってみることである。

私の最初の記憶は1歳頃で、両手を広げている祖父に向かって歩いて行く光景だった。生まれる前の私は母の子宮の中にいたし、さらに受精する前の私は半人前の卵子で、母が生まれた時すでに母の卵巣の中にいたはずだから、母が祖母の子宮にいたときから一緒に祖母の子宮に入っていたことになる。その祖母の卵子は曽祖母と一緒にその母の子宮に入っており、曽祖母の母の卵子は曽祖母の祖母と一緒にそのまた曽祖母の子宮に……。

これでは永久に死をイメージできないと言われるかもしれない。

そう、それでいいのである。それが死というものである。

(闘病中ですが、診療は平常通り行っています)
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