西武新宿線 鷺ノ宮駅徒歩4分 曽根クリニック中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科、曽根クリニックのブログ

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6.生きるということ

入院したことがある人はたいてい「病院の食事はまずい」と言う。がん研有明病院の食事は肉料理と魚料理を選べるほか、温かい料理と冷たい料理も選べるし、食欲がないときは麺類やフルーツに替えてもらうこともできる。塩分は控えめだが、出汁はしっかり取ってあるのでまずくはない。初日と2日目は完食だった。

ところが3日目あたりからだんだん食事がまずくなってきた。完食どころか、3分の2からせいぜい半分くらいしか食べられない。抗癌剤の副作用である。

洗濯物を取り替えに来た妻に「今日は食べられた?」と訊かれて、良い返事ができず、妻が顔を曇らせることが増えた。期待には応えることを旨として生きてきた私にとっては、食べられないことよりも妻の気落ちした顔を見ることのほうがつらかった。

食べることは生きることの基本である。そんなことは重々承知していながら、いつのまにかまずいと思うものは食べないし、酒を飲めばもう酒だけで十分だという不摂生な食生活になっていた。思うにこれはまだ若かった頃の思い込みに淵源があるような気がする。

東大紛争当時の東京大学総長だった大河内一男氏が「太った豚より痩せたソクラテスになれ」と訓示した話を新聞で読んだのは高校生のときだった。事実は卒業式の予定稿にあっただけで、実際には読まれなかったらしいが、この言葉は私の心に深く突き刺さった。

大学に入ってカミュとサルトルに出会い、突然意味のない世界へと放り出された私は、自ら意味を獲得することを生きる目標と定め、それ以外の価値観には見向きもしなかった。精神を重んじ、身体を軽んずる生き方が身についたのは、この頃ではなかったかと思う。

第一次オイルショックの余波で文学部の学生にほとんど求人依頼が来なくなったとき、私は突然医師になろうと思った。今考えると、よくもあんな無謀なことを思いついたものだと背筋が寒くなる。もし医学部に合格できていなかったら、私の人生は今ごろどうなっていたのだろう? 想像するだに恐ろしい。

医学部に入学してからは医学生としての意味を獲得することが課題となった。卒業してからは医師としての意味を、結婚してからは夫としての意味を、子供が生まれてからは父親としての意味を獲得することが私の哲学的課題であり、生きる目標となった。

生きるということは、日々新しい自分へ向かって自らを投げ入れることである(哲学用語ではこれを「投企」という)。現在の自分に満足せず、新たな自分を目指して自己を投企し続けることが生きるということであり、逆に言うとこれができなくなったら人間としての存在意義はなくなるということである。

癌が発見された私は、癌患者としての意味を獲得しなければならない。

癌という病気が心疾患や脳卒中より優れている(?)ところは、ある程度死期を予測できることである。ならば遺される者に迷惑をかけないよう、早めに終活を行わなければならない。

私が真っ先に手をつけたのが遺言書の作成だった。私自身は金銭に執着しないほうだが、子供たちもそうだとは言い切れないし、彼らに配偶者がいた場合、何が起こるか知れたものではない。さっさとけりをつけておくに限る。

ところであまりに早く終活を完了してしまうと、死ぬまでの時間が手持ちぶさたになってしまう。かと言ってむやみに死期を早めるわけにも行かないし、癌患者として自らを投企し続けるのは結構大変なことのようである。

(闘病中ですが、診療は平常通り行っています)
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