西武新宿線 鷺ノ宮駅徒歩4分 曽根クリニック中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科、曽根クリニックのブログ

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8.妄想

1週間にわたる抗癌剤と放射線の治療を終えて、私は一旦退院した。これから2週間は放射線だけの治療に通い、最後にもう一度入院して抗癌剤と放射線の治療を受けることになる。それが終わって1カ月後が手術である。

1カ月の休養期間を置くのは、放射線のダメージから回復するのを待つためだという。

正直言って私は放射線のダメージがどれほど大きいか、頭では理解しているつもりでも、実際には全くわかっていなかった。

放射線治療では周辺組織への侵襲を極力小さくするために、いろんな角度から病巣に向けて放射線を照射することになる。それには病巣の形状を正確に把握し、かつ毎回同じ位置に固定することが肝要で、最初に行われたのが私専用のマスク(仮面)を作ることだった。

顔にぴったりとはまるマスクをかぶせられ、その四方を治療台に固定されると、首から上はびくとも動かなくなる。この体勢で毎回癌病巣の位置の微調整を行った上で、放射線が照射されるわけである。

私は退院の翌日からクリニックの診療時間を短縮し、月曜日から金曜日まで毎日放射線治療に通うことになった。九月の初めで残暑が厳しかったが、抗癌剤による食欲不振が残っているほかは、とりたてて不調を感じることもなかった。

ところが通い始めて2週目、入院から数えて3週目になると、だんだん身体がだるくなってきた。歩く速度が落ちて女性にも追い越されるし、駅の階段では息が切れて喘ぐありさまである。

放射線治療に要する時間は全行程を含めてもせいぜい5分くらいで、しかも部位は食道に限局されている。その程度の被曝ですら回数を重ねると全身にダメージが及ぶのである。

やがて放射線は病巣のそばを走る反回神経を麻痺させ、声がかすれるようになった。ささやき声を絞り出すのが精一杯で、診療もままならない。

――治療さえ受けなければこんな目に遭うこともなかったのだ。

炎天下の道をよろめくように歩きながら私はそう思った。すると、それをきっかけに今まで考えもしなかった疑惑が私の心をとらえた。

癌という診断は誤診だったのではないか?

冷静に考えれば、そんなことはあり得ないとすぐにわかる。最初にI先生が見せてくれた内視鏡の画像が他人のもので、組織検査結果がたまたま間違っていて、がん研有明病院での精密検査結果もことごとく誤りだったなんて話は、整合性がなさ過ぎて現実性に欠けるし、確率論的にも限りなくゼロに近い事象である。

しかし、これらの矛盾を一気に解決する逆転技がある。妄想である。

精神科医の私にとって妄想ほど身近で親しい症状はない。通常は統合失調症によく見られるが、うつ病や薬物依存などでも出現する。 妄想は訂正不能な思い込みで、ふだんは役立たずの厄介者みたいな扱いを受けているが、実は効能がないわけではない。

妄想とは病者が自分を納得させるための方便で、納得することによってとりあえずその場の気持ちを鎮めることができる鎮静剤のようなものだと私は考えている。

さしずめ私の場合はある国家的な組織が私を癌患者に仕立て上げ、治療と称して様々な苦痛を与えたのち、最終的には抹殺しようとしている、ということになろうか。妄想に浸っている限り、私は国家権力に命を狙われている悲劇のヒーローということで、ひとまず癌からは解放されるわけである。

もっとも舞台裏を知っている私には、残念ながらこの裏技は通じない。精神科医は癌から逃れることはできないのである。

(闘病中ですが、診療は平常通り行っています)
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