西武新宿線 鷺ノ宮駅徒歩4分 曽根クリニック中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科、曽根クリニックのブログ

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9.ものは考えよう

癌という診断は誤診だったのではないか?……と疑う自分がいることに私は当惑した。しかし、これは当惑している私のほうがおかしいのであって、キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」などを参照すると、ふつうはそう思うものらしい。癌と死とはイコールではないが、死を受け入れる過程と癌を受け入れる過程には共通点があるように思われる。

ロスによると死のプロセスは否認、怒り、取引、抑うつ、受容という5つの段階に分けられるそうで、癌の宣告を誤診だと思うのは最初の否認に当たる。癌だと言われてもそう簡単には受け入れられないのが人情で、認めたくない気持ちもわからないではない。しかし内視鏡の画像と生検の組織診断結果を見れば、医師の私に否認という選択肢は残されていなかった。

否認の次には、なぜ自分が癌になったのだという怒りが湧いてくるらしい。自分と同じ年代の人が元気に暮らしているのを見て、理不尽だという気持ちになるのも理解できないではない。しかし世の中が不条理であることは20歳の頃から重々承知しているし、飲酒の習慣こそ37歳と出遅れたが、喫煙は19歳からというキャリアを誇る私が、癌になったからといって怒り狂うようでは世の笑い者である。

取引というのは、これまでの生き方を改めて今後は精励恪勤しますから、どうぞお助けくださいなどと神様と取引をすることを指す。無神論者である私には取引をしようにも相手がいない。

その次の抑うつは、神様がいかなる取引にも応じてくれないことを悟り、万策尽き果てたあとに訪れる無力状態である。否認、怒り、取引のどれもが奏功しなかった結果だが、そもそもこうした悪あがきさえしなければ抑うつ状態に陥ることもなかったはずである。

癌と死とは同列に論じられないにせよ、無駄な思考と行動を控える訓練を長年続けてきた私は、否認、怒り、取引、抑うつの4段階をいつのまにかクリアしていたものと思われる。癌を宣告されたとき、「へえ」と思っただけで初めから5段階目の受容に行き着いたのは、そういう背景があったからである。

ここでふと思い出したことがある。中学1年生を境に私は神様に頼らないと決めたはずだったが、実は2回、不覚にも神頼みをしたことがあったのである。

最初は長女が生まれたときで、仮死状態が長く続き、産声も弱々しかった。私は娘が障害児になることを覚悟する一方で、この子が無事に育つなら私の寿命が10年縮まっても構わないと思わず祈ってしまった。自分の命と引き替えに、と言おうとして、それでは残された妻子が迷惑だろうと思い、咄嗟に10年の寿命に置き換えたのでよく覚えている。

2回目は長男が交通事故に遭ったときで、私はたまたま研究会に出席していて身動きが取れなかった。会場に電話がかかってきて呼び出され、事故に遭ったと聞かされたが、怪我の程度がよくわからない。この時も思わず、子供が助かるなら寿命が10年縮まってもいいと言ってしまった。

そのおかげかどうか、長男は後遺症が残ることもなく快復した。長女も幸い障害児にならずに済んだので、私の寿命は都合20年縮んだことになる。

当時の日本人男性の平均寿命が75歳くらいだったから、40歳を過ぎていた私の平均余命はもう少し長かったはずだが、私は55歳プラスアルファで寿命が尽きていても文句は言えなかったのである。

そう考えると今年67歳になった私はずいぶん長生きをしているのかもしれない。

(闘病中ですが、診療は平常通り行っています)
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