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10.手術前夜

抗癌剤と放射線による術前治療が終わったとき、私の身体はボロボロだった。幸い髪の毛は抜けなかったが、抗癌剤の副作用で食欲不振と嘔気が重なり、入院中の食事は1日3回の拷問を受けることを意味した。

食道上部にくり返し放射線を浴びたせいで、顔は青白いのに首だけが日焼けをしたように赤くなった。反回神経が麻痺して声が出なくなったばかりでなく、退院したあとで食道粘膜が炎症を起こし、嚥下のたびに激痛が走るようになった。

入院中は何とか1㎏の体重減少に留めていたが、粘膜炎が生じてからは痛みでものが飲み込めなくなり、1週間で体重が5㎏減少した。このままでは手術が受けられなくなるというので、モルヒネを使って痛みを抑え、その間に無理やり食べものを詰め込むという裏技を使ったりした。

力ずくで食べているうちに吐き気は次第に軽くなり、炎症もおさまって少しずつ食べられるようになった。一時期6㎏減少した体重も持ち直し、また術前治療のおかげで原発巣の癌組織がほとんど消失したこともあって、平成29年10月27日、私はいよいよ手術を受けるために入院することになった。

私が受ける手術というのは①食道切除、②胃管形成、③下咽頭・胃管吻合、④転移巣切除が主たる内容で、さらに⑤周辺リンパ節郭清、⑥胃瘻造設が加わる。要は切除した食道の代わりに胃の上部を使って長さ25cmの管を作り、それを横隔膜裂孔から引っ張り上げて下咽頭につなぐわけで、胃管の残りが一応胃として残るが、消化機能は格段に落ちるため、栄養補給用の胃瘻を造るというものである。

後縦隔に埋没している食道を切除するだけでも大変なのに、そこへ胃管を通し、なおかつ縫合不全が生じないように血流を確保しながら縫合するのは至難の業で、食道癌の手術は昔から最も難しい手術のひとつだった。以前は開腹と開胸が基本だったが、今回は腹腔鏡と胸腔鏡による内視鏡手術だという。開腹・開胸手術に比べてはるかに身体的侵襲が少なく、したがって回復も早い。昨今の医学の進歩には舌を巻くばかりである。

手術の当日は朝8時に手術室に入るので、妻はその前に病院に来て、手術が終わるまでの10時間をひたすら待ち続けなければならない。相当疲れることが目に見えていたので、当日まで病院に来る必要はないと伝えておいた。兄弟にも親しい友人にも一切見舞いに来ないよう伝えたのは、病室に見舞客が次々訪れたりすると、いかにも自分が病人になったようで(事実病人なのだが)、辛気くさくて嫌だったからである。

入院から手術までの3日間を私は決められたスケジュールに従って淡々と過ごした。手術に対する不安は全くと言っていいほどなかった。私が執刀医なら手術に対して不安を懐いたかもしれないが、私は手術を受ける患者である。不安がったところで何の足しにもならない。

将棋には「下手の考え休むに似たり」という格言があって、技量の低い者がいくら考えても、技量の高い者から見れば休んでいるのと変わらない。手術も同じで玄人に任せておけばいいのである。

手術前夜、食道癌という病気を知ったきっかけは直木賞作家の立原正秋だったことがふと頭に浮かんだ。昭和50年代のことで、闘病生活は1年に満たなかったのではないかと思う。身近なところでは行きつけのバーの名物マスターも、イタリア料理店の女性シェフも食道癌だった。

みんな呆気なく死んじゃったな、と思っているうちにいつのまにか寝てしまった。

(闘病中ですが、診療は平常通り行っています)
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