西武新宿線 鷺ノ宮駅徒歩4分 曽根クリニック中野区鷺ノ宮から徒歩4分の精神科・心療内科、曽根クリニックのブログ

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14.さらば昴よ

手術の前後で何が一番変わったかというと、酒も煙草も欲しいと思わなくなったことである。

手術を受ける前は、患者の鑑になるような優等生を演じて1日も早く退院し、主治医に内緒で一服吸いながら祝杯を上げてやろうと企んでいたのだが、いざ退院してみるとそれどころではなく、立っているだけでも疲れるので終日横臥しているような状態だった。入院前にひそかにビールと煙草を買い置きしてあったのだが、手に取ることがないままもう2年以上が経過している。

酒も煙草も健康でなければおいしくないのだと、そのときは無理やり自分を納得させたが、毎日平均してビールなら2リットル、煙草は40本という、どう見ても依存症レベルだった私が、手術ひとつで真人間に戻るなんてことがあり得るだろうか?

退院して2カ月余り経った頃、私が開業する前に勤めていた職場の仲間が快気祝いを開いてくれた。このとき術後初めてビールを口にしたが、苦いばかりで、コップ1杯空けるのに苦労する始末だった。

しばらく遠ざかっていたからアルコール分解酵素が足りなくなっていたのだろうと思ったが、その後何度かビールを飲む機会があったものの、ついに以前のようにジョッキを空けられる日が来ることはなかった。

私の胃は上部が筒状になって食道を代替し、残りが胃として働いていて、いわばフラスコのような形状になっている。しかもガラス製ではなくシリコン製で、筒の部分はふだんぺしゃんこになっており、底の部分にいくらか空気が残っているようなものだと思ってもらえばよい。

このフラスコに液体を注ぐとどうなるか?

コップ1杯も注げばフラスコの底部は満杯になり、空気が押し出されて来る。大量のゲップが出るわけで、その分だけ液体を追加することが可能となる。

退院後は妻が野菜や果物をふんだんに使ったジュースを用意してくれるので、毎朝400ccほど飲むのが習慣になったが、一気に飲むことは無理で、途中で必ずゲップを出さなければならない。

コップ1杯のジュースすら一気に飲めないという事実は、ジョッキに入ったビールを飲み干すイメージとは余りにもかけ離れているので、私は無意識のうちにビールを避けるようになっていたのではないかとも考えられるが、単純にいえば、おいしくないから欲しいとは思わなくなったというのが真相ではないかと思う。

煙草が吸えなくなった理由はもっと単純で、術後早々の誤嚥性肺炎で咳と呼吸困難に苦しめられた私は、咳に対して過敏になり、のどに高感度の咳センサーを配備してしまったようなのである。 空気が少し乾燥しただけでもこのセンサーはアラームを発するので、煙草なんか吸った日には咳喘息を起こすことが一目瞭然。むしろ自ら進んで喫煙を放棄したのであった。

ところで快気祝いの席で久しぶりにカラオケを歌って愕然とした。声が出ないのである。と言うより、音程が狂って歌にならないのである。

手術で下咽頭と胃管をつないだ縫合部位がちょうど声帯の裏あたりで、胃に引っ張られて声帯の位置が下にずれ、高音が出せなくなってしまったのだった。

私のカラオケを聴いた人はほとんどいないので、ここで私が法螺を吹いても誰も異議を申し立てられないのをいいことに言わせてもらうと、私の十八番は谷村新司の「昴」で、キーを替えずにオリジナル通り歌えるのが自慢だった。

それがもう歌えない。さらば昴よ、なのである(涙)。

(闘病中ですが、診療は平常通り行っています)
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