西武新宿線 鷺ノ宮駅徒歩4分 曽根クリニック曽根クリニック院長・曽根維石(そねいせき)のご紹介

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曽根 維石
院長

曽根 維石

名前の由来 私は男ばかり4人兄弟の3番目に生まれました。長男、次男と男の子が続いたので、両親とも3人目は女の子だろうと思っていたらしく、父は女の子の名前ばかりを考え、母は赤い産着を用意していました。ところが生まれてきたのはまたしても男だったので、名前の在庫がなく、江戸時代の先祖から「維石」(いせき)という名前をもらってきたのだそうです。 子供の頃、墓参りに行くと「俗名曽根維石」と書かれた古い墓石があって、自分の墓に手を合わせているような変な気分になったことを覚えています。
文学部から医学部へ 私は中学時代から本が好きになり、高校時代の乱読を経て、大学は文学部の仏文科に入学しました。ところが在学中に第一次オイルショックが起こり、文学部の学生は就職難に陥りました。そこで卒業後に1年間理科系の勉強をして、医学部に入学し直しました。 父は退職して経済的な余裕がなかったため、家庭教師のアルバイトと奨学金と授業料免除制度を利用して、何とか医学部を卒業することができました。
教育分析を受けて一人前に 医師になって5年目、当時私は医学部の助手でしたが、精神科医として修業を積むために教育分析を受けることにしました。毎週土曜日に岐阜から京都まで通い、ユング派国際分析家の安溪真一先生に分析心理学の基礎をたたき込まれました。翌年東京へ転勤してからは同じくユング派国際分析家の織田尚生先生に教育分析を引き継いでいただきました。 お二人の先生に都合5年間教育分析を受け、ようやく一人前の精神科医になれた気がしました。 私が専門としている夢分析の技法は、このとき身につけたものです。

略歴
1952年
徳島県生まれ
1975年
京都大学文学部仏文科卒業
1982年
岐阜大学医学部卒業、岐阜大学大学院医学研究科入学
1984年
岐阜大学医学部助手
1987年
1987年5月から1989年3月までユング派国際分析家・安溪真一氏に教育分析を受ける
1988年
国立公衆衛生院(現国立保健医療科学院)研究員
1988年
1988年4月から1992年3月までユング派国際分析家・織田尚生氏に教育分析を受ける
1991年
国立公衆衛生院(現国立保健医療科学院)主任研究官
1995年
曽根クリニック院長
2006年
A&Iカウンセリングルーム所長
併任・役職等
1988年
国立国際医療センター精神科非常勤職員(~1995年)
1990年
放送大学非常勤講師(~1992年)
1997年
中野区医師会理事(~2001年)
1997年
都立中野特別支援学校精神科学校医
1997年
中野区立中学校精神科学校医
2001年
東京都医師会学校精神保健検討委員会委員(~2017)
2001年
中野区医師会精神科分科部会代表
2005年
帝京大学客員准教授(~2013)
2019年
都立中野工業高校精神科学校医
現在
国立保健医療科学院メンタルヘルス相談医
東京都教育庁専門医派遣制度登録医
都立中野特別支援学校精神科学校医
都立中野工業高校精神科学校医
中野区立中学校精神科学校医
中野区教育委員会特別支援教育巡回相談員
中野区児童扶養・育成手当判定医
中野区もみじ山支援センター嘱託医
中野区しらさぎホーム嘱託医
中野区立かみさぎこぶし園嘱託医
中野区医師会精神科分科部会代表
中野区医師会学術委員会委員
趣味

将棋、囲碁、麻雀、ビリヤード、社交ダンス

著書(共著)
公衆衛生学
南江堂、1991年(初版)、1996年(改訂第2版)
健康教育大要
ライフサイエンスセンター、1998年
学校医の手引き
東京都医師会、2005年
訳書(共訳)
コミュニティメンタルヘルス
中央法規出版、1992年
死別
メディカ出版、1993年
境界例と想像力
金剛出版、1997年
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